牛乳瓶のフタ(2006.10.08)
初耳の「牛蓋コレクション」のことが気になって調べてみると、何のことはない、牛乳瓶のフタ集めだった。それなら吾輩も持っていたはずだと、小中学生時代のがらくた入れを引っかき回したら、あったあった。B5サイズの深さ8センチほどの木箱に、蝋メンコ(小型丸メンコ)と一緒にごっそり入っていた。フタが200個以上、蝋メンコが300個以上はあろう。蝋メンコは小学四、五年生のころ、フタは小学六年生から中学一年生のころにかけて集めたと記憶する。
数のわりに種類は少ない。牛乳瓶のフタは画像のように全部で21種類しかなく、同じものが数枚から数十枚ダブっている。蝋メンコは下に掲げた34種類のほかに、状態の悪いものがあと10種類ほどあった。
蝋メンコと書いたけれども、そもそもメンコを「パッチ」と言っていたのだから、蝋メンコという呼び方をしたことはない。「パッ」とか「パッパ」とか呼んでいたような気がするのだが、断言する自信はない。
何のためにこんなものを集めていたかというと、勝負ごとに使うためだ。蝋メンコは縁(へり)に蝋が塗ってあって、二通りの遊び方があった。一つは、親指と人さし指の腹で縁を持って強く挟みつけ、蝋の滑りを利用して前に飛ばす遊び。飛ばした距離で勝ち負けを競う。もう一つは、床の上に置いて裏返しにする遊び。掌(てのひら)をくぼめて、上から覆うようにパッと打ち、瞬間的に引き上げると、風圧で浮き上がる。裏返しにすれば取れる。それなら牛乳瓶のフタでもできるじゃないかということから、フタが価値を持つようになった。
ここに掲げた牛乳瓶のフタを眺めると、ほとんどが吾輩の生まれ育った福岡市や周辺のローカルな乳業会社ばかりだ。全国ブランドの森永と雪印でさえ自前の工場ではなく、地方の会社や団体に作らせていたことがわかる。
森永牛乳・森永コーヒー牛乳>福岡市大名町、昭和牛乳
森永ホモ牛乳>熊本市本山町、熊本牛乳
雪印牛乳・雪印コーヒー牛乳>福岡市東領、福岡地方酪連
日田牛乳・ジャージー日田牛乳>福岡市平尾山荘通り、日田酪農福岡工場
ニシラク牛乳>小倉市金田町、西日本酪農協同組合
筥松牛乳・エバーヨーグルト>福岡市箱崎、小川ミルクプラント
青柳牛乳・青柳ヨーグルトミルクなど>粕屋郡古賀町、青柳酪農協同組合
ヨーグルト>福岡市名島正松園、橋本勲
昭和ヨーグルト>福岡市春吉、昭和乳業
ミルクトン>福岡市東領、ふくらく牛乳(福岡地酪連)
ジヨーグルト>福岡市姪浜竹山町、滋養化学研究所
太陽ヨーグルト>福岡市香椎御幸町、太陽化学工業
菊水ヨーグルト>福岡市吉塚大黒通り、菊水飲料
今や高級住宅地の平尾山荘通りにミルク工場があったとは驚きだ。古くからの市街地である福岡市大名町が表示されているのは、本社オフィスだろう。小倉市金田町も今では市街地だが、昭和三十年代がどうだったのかよく知らない。それにしても、福岡市周辺だけで小さな乳業会社がこんなにあって、地域の得意先を相手にそれなりに商売が成り立っていたのだ。のどかな時代だったと思う。
もう一点、殺菌方法も興味深い。森永ホモ牛乳が「128度2秒」の超高温殺菌、雪印牛乳が「83度20秒」の高温殺菌なのを除けば、あとは「75度15分」「65度30分」「63度30分」などとなっていて、処理に時間のかかる低温殺菌が一般的だったことがわかる。
殺菌温度が低いほど、牛乳本来の味を損なわない。できれば殺菌などせずに、絞り立ての生牛乳を飲むのがいちばんおいしいに決まっている。それが今では、大量生産・広域流通・長期保存というメーカーと流通側の要請から、超高温殺菌が当たり前になった。「昔の牛乳はおいしかった」と感じるのは、単なるノスタルジーではなく、のんびりした低温殺菌も一役買っていたのである。
