武内つなよし(3)
私の手元に少年画報社から手に入れた古い内部資料がある。会計担当者が書き留めた「漫画家の原稿料」単価表だ。昭和三十四年一月号の時点で新しいノートを作ったらしく、一ページ目がその時点での原稿料。以後、単価が改定されるごとに、前の項目を線で消して、二ページ目以降に追加記入されている。三ページ目まであり、最後は昭和三十七年ごろで終わっている。
三十四年一月号時点で、原稿料の高い漫画家ベスト10を抜き出すと、以下のようになる。(数字はページ単価、単位円)
氏名 1・2色 3・4色 付録
武内つなよし 6000 8000 2500
吉中一郎 5000 7000 2000
手塚治虫 5000 7000 2000
桑田次郎 4000 5000 1600
堀江卓 3000 4000 1200
わちさんぺい 2500 3500 1000
寺田ヒロオ 2500 3500 1000
横山光輝 2500 3500 1000
下山長平 2500 3000 1200
河島光広 2500 ―― 1000
武内つなよしの原稿料が手塚治虫を上回っているのは、やはり「赤胴鈴之助」の貢献度に配慮した少年画報社ならではの評価だろう。吉中一郎は、前に見たように武内の別名であり、それでさえ手塚と同格なのだ。桑田次郎は「まぼろし探偵」で、堀江卓は「天馬天平」で、それぞれ人気上昇中だったにもかかわらず、武内とは格段の差がある。横山光輝は「少年」で「鉄人28号」がヒットしていたものの、少年画報での実績がまだなかったということか。
武内の原稿料収入を計算してみると、例えば九十六ページの第一付録を仕上げれば、二千五百円かける九十六で、二十四万円が入ってくる計算になる。本誌連載でも、たいてい十六ページあるから、六千円かける十六の九万六千円、カラーページがあればそれ以上の収入になる。それを何誌も掛け持ちすれば、他誌の単価はこれほど高くはなかったとしても、毎月何十万円という金が転がり込んでくるのである。
財布は分厚く、どこに行っても「先生、先生」と持ち上げられれば、次第に感覚が麻痺していっても不思議ではない。「少年画報」の担当編集者だった岡野康雄が「武内さんは、売れ出してから人が変わった」と言うように、真面目一方だっただけに、落差は大きかった。
武内の最初の曲がり角は、おそらく昭和三十四年四月号の時期だった。漫画の「赤胴鈴之助」の人気を支えたラジオとテレビの「鈴之助」がそれぞれ二月と三月で終わり、代わって「まぼろし探偵」が登場した。漫画の「鈴之助」も徐々に人気が低下し、「まぼろし探偵」にトップの座を奪われようとしていた。じり貧を打開するには、今までの舞台設定をがらりと変えるしかない。起死回生の狙いを込めて登場したのが、四月号からの「幕末風雲編」ではなかったか。
少年画報社でも態勢を変えたはずだ。この時期、岡野が担当編集者を外れているほか、吉中一郎名義の連載「少年マイティ」を三月号で打ち切っている。「鈴之助」に全力投球してほしいという期待からだろう。他誌では、「冒険王」の「ひよどり天平」がやはり三月号で終わっている。「少年」の「山彦小太郎」も不自然な終わり方をして、四月号からは「少年Gメン」が始まっている。チャンバラものの人気が低下した時代背景もあっただろうが、それだけにいっそう武内自身が、似たような作品の競合を避けて、鈴之助に集中しようとしたと考えられなくもない。
しかし、引き始めた潮を止めることはできなかった。「赤胴鈴之助・幕末風雲編」は四月号以降、別冊第一付録の地位を「まぼろし探偵」から一度も奪い返すことができないまま、三十五年十二月号で終焉を迎えた。「幕末風雲編」とほぼ同じ時期に「ぼくら」に連載され、テレビでヒットした「少年ジェット」も同じ号で終わった。
三十五年の連載実績を見れば、武内人気が急落したことは歴然としている。少年雑誌での新たな連載は、「少年画報」の「ずんぐり大将」と、「冒険王」の「旋風児サコン」だけであり、どちらも半年と持たなかった。三十一年一月から発行されてきた単行本の『赤胴鈴之助』は、三十四年十二月の第二十二巻で打ち止めになり、三十五年にはついに一巻も出なかった。
「鈴之助」が終わった直後の三十六年一月号時点で、武内の原稿料は六千円から四千円へと大幅にダウンした。付録は二千五百円から千五百円へ。それでも桑田次郎や堀江卓と同額なのだから、少年画報社の温情はなお厚かったというべきだろう。
第二の転機は、まさにその三十六年一月号の時点である。引き続き連載中の作品にはもともと爆発力は期待できず、一月号から連載を始めた「少年画報」の「平原児サブ」と、「ぼくら」の「コンドルキング」とに、武内の今後のすべてがかかっていた。
実際のところ、両作品ともそれなりに健闘したとは言える。しかし、漫画家の世代交代が進み、読者である子どもたちもラジオ世代からテレビ世代へと変わりつつあった。「少年画報」で言えば、吉田竜夫の「パイロットA」、辻なおきの「0戦太郎」、望月三起也の「ムサシ」などがこのころから台頭してくるのである。「平原児サブ」は三十七年九月号で、「コンドルキング」も同年十二月号で終わり、武内の時代は過ぎ去った。「赤胴鈴之助」の連載開始からわずか八年間の「栄耀栄華」であった。
あれほど群を抜いていた「赤胴鈴之助」の人気がなぜ三十三、四年ごろを境に低落していったのか、ひいては武内つなよしの漫画がなぜ子どもたちを引きつける力を失っていったのかは、いくつかの要因が複合しているはずだ。
赤胴人気のかげりに関して言えば、前に述べたように、三十三年の「まだら星人」「南蛮笛」のあたりからマンネリ化が目立つようになっていた。とくに「まだら星人」は緑色のカッパのような怪人のグロテスクさが目につき、子どもながらに失敗作と映った。一方、勤王の志士と新撰組が登場する「幕末風雲編」は、逆に舞台設定が今までと違いすぎて、唐突な印象を拭えなかった。幕府方の秘密兵器「ロバット」(上の画像=アース出版局『赤胴鈴之助』第十三巻より)は荒唐無稽で、しかも不格好だった。さすがに読者の評判が悪かったのか、ほとんどなすところなく自爆して退場する。
もう一つ、「赤胴鈴之助」ではさほど目立たないのだが、三十四年ごろから武内の画風が変わったこともマイナスに作用したのではないかと思われる。下の画像を見比べていただきたい。いずれも「少年」の別冊付録で、左側の「黒帯三平」が昭和三十二年三月号、右側の「少年Gメン」は三十四年五月号である。
もともと武内の絵は、例えば桑田次郎のようにシャープではないし、堀江卓のようにダイナミックでもない。まして手塚治虫のようにスマートでもない。ずんぐりむっくりした登場人物の泥臭さが、ある意味では魅力だった。それが三十四、五年ごろからスリムな体形になり、描線も単純化されていく。絵が軽くなったとも言えるし、手間をかけない「省エネ画法」とも言える。三十一、二年ごろの画風に親しんだ者にとっては、別人の絵のように感じられるほどだ。上のロバットなど、単純化されすぎていて、まるで木偶(でく)の坊に見える。
もちろん、成長とともに子どもの読者は入れ替わっていくのだから、新しい読者は新しい絵を受け入れるだろう。問題は、彼らにとってこの絵が桑田次郎や堀江卓の絵よりも魅力的だったかどうかだ。ストーリーの面白さという別の大きな要素をひとまず棚に上げて、単純に絵だけの問題として比較するとき、私には魅力に乏しいように見える。
こうして眺めると、三十二、三年に仕事の手を目いっぱいに広げたことが、いつしか武内の筆を荒れさせ、アイデアを枯渇させたとは考えられないだろうか。武内は本来、そんなに器用な漫画家ではなかったのに、どこかに過信や慢心が生じていたように思われる。
最後に、やはり時代の流れの変化があったことも押さえておかなければならない。時代劇がはやらなくなったという表面的な現象ではなく、子どもたちのヒーロー像の変化である。
「赤胴鈴之助」が登場したころの人気漫画を拾い出すと、柔道漫画では福井英一の「イガグリくん」(冒険王)、田中政雄の「ダルマくん」(少年)、下山長平の「イナズマ君」(少年画報)があり、高野よしてるの剣道漫画「木刀くん」(冒険王)や、益子かつみの相撲漫画「白星くん」(おもしろブック)があった。これらのヒーローたちは、個人の技を磨くことによって、次々に現れる敵やライバルを倒していく。現実にはありえない漫画的な技を繰り出したとしても、約束ごとはあくまで等身大の「人間業」なのだ。
ところが、三十二、三年以降に登場する堀江卓の「天馬天平」(少年画報)、「矢車剣之助」(少年)、「ハンマーキット」(少年)、桑田次郎の「まぼろし探偵」(少年画報)、「月光仮面」(少年クラブ)、「Xマン」(少年画報)あたりになると、最初から身体性を超越したヒーローとして現れる。超人、すなわち「スーパーマン」。そこから「スーパーマシン」が活躍する科学漫画まではひと繋がりだ。三十一年に誕生した横山光輝の「鉄人28号」(少年)はそのさきがけとして位置づけるべきだろう。
ヒーローの変遷は、漫画の受け手である子どもたちの価値観の変化を反映している。三十年前後の子どもが憧れた「人間業の強さ」は、五年後、十年後の子どもたちには受け入れられず、「超能力的な強さ」や「武器の強さ」に取って代わられるのである。人間業ヒーローとして出発した「赤胴鈴之助」は、スーパーマンへと変身することができず、次の時代の読者に見放されたと言える。
こうしたヒーロー像の変化を突き詰めれば、テレビの普及につれて、子どもたちが外で群れて遊ばなくなった結果でもあろう。原っぱでの腕力や胆力やリーダーシップが意味を持たなくなったのだから。藤子不二雄のアニメ「ドラえもん」に例えれば、腕っ節が強いだけのジャイアンは格好悪いアンチヒーローであり、ドラえもんというスーパーマシン(?)を従えているのび太のほうが、いくら運動神経が鈍くても持てはやされる時代になっていくのである。団塊世代とポスト団塊世代との間に横たわる溝は、こうした集団体験の違いから生じているのではないかと、改めて思う。